描き込みの線の多さ
前の記事で原哲夫先生の原作絵にも少し触れましたが、漫画を読んでいて「ここまで描くのか」と圧倒された最初の作品が、北斗の拳でした。
とくに印象に残っているのが、描き込みの線の多さです。
どの顔も体も、どのコマも、まるで現実の人間がそこに存在しているように精密で。線が増えれば増えるほど情報量が増すはずなのに、不思議とごちゃつかず、むしろ存在感が際立つんですよね。
最初は単純に「すごい量の線だな」としか思えなかったのですが、何度か読み返しているうちに、ただ多いだけではないことに気づきました。
影の入れ方や筋肉の起伏、服のしわの流れまで、線の一本一本に意味があるんです。だから情報量が多くても、読む側の目が迷わない。これは意図して設計されているんだろうな、と後から理解しました。
そして正直、ハードルはかなり高かったのですが、それでも一度は挑戦してみたくて、ケンシロウを模写してみたことがあります。
最初は輪郭だけでも似せようと思いスタート。でも途中で「あれ、なんか違う」と何度も手が止まって。線を増やせば近づくのかと思って足していったら、今度はただの“濃い絵”になってしまって、自分でもこれはおかしいなと(笑)。
でもそのとき、「線が多い=上手い」ではないんだと理解できたのは良かったです。
むしろ、どこに線を置くか、その取捨選択のほうがずっと重要なんですよね。
北斗の拳のすごさは、単にリアルに見えるだけじゃなくて、「痛み」や「重さ」まで伝わってくるところだと思います。
たとえば拳が当たる瞬間、筋肉の張りや皮膚の歪みが細かい線で表現されていて、読んでいる側も思わず力が入ってしまうような感覚になります。
あの臨場感は、やっぱり描き込みの積み重ねから生まれているんだろうな、と感じます。
そして最初に見たときは圧倒されるだけだった描き込みも、少しずつ見方が変わってきました。
「あの線は何を表しているんだろう」と考えるようになってから、読む楽しさが少し深くなった気がします。
そして、自分で描いてみて失敗した経験も含めて、やっと「すごさの輪郭」が見えてきたというか。まだ言葉にしきれない部分もあるのですが、それでも確実に、最初に感じた驚きとは違う理解に近づいている気がします。
線の多さに目を奪われたあの日から、気づけばずいぶん時間が経ちました。でも、ページをめくるたびに「やっぱりすごいですね」と思ってしまうあの感覚は、今も変わっていません。